※本ブログは、米国Microsoftのブログ「Developing next-generation cancer care management with multi-agent orchestration(2025年5月)」[1]をベースとして、日本国内向けに一部情報を追加・加筆して作成されています。
Executive Summary
- Healthcare Agent Orchestrator
- がん医療の多職種カンファレンス(Tumor Board)は、患者データを含む多様なデータの集約と複数専門家間の合意形成が必要で、準備負荷が大きいことが個別化医療へのアクセスを制約しています。AIエージェントはこの事務・管理的負担を軽減し得ます。
- MicrosoftのHealthcare Agent Orchestratorは、マルチエージェント・オーケストレーションを備え、医療画像・病理・ゲノム・臨床ノートなど多様なデータに対する推論とレポート生成を支援します。オープンソースの拡張性とM365ツール連携により、現場ワークフローにも展開しやすくなっています。
- Tumor Board向けには、患者履歴整理、放射線/病理レビュー、がんステージ分類、臨床ガイドライン参照、臨床試験探索、医学研究統合、レポート作成など多数の専門エージェントをオーケストレーターが統制します。
- 本稿で示すマルチエージェントの例は米国の複数医療機関で実装・検証が進む一方、日本での適用には電子カルテからのデータ連携や参照すべきガイドラインの置き換えなど複数の課題があります。それでも、核となる技術や専門エージェントの組み方といったコンセプトは国内検討のヒントになると考えます。
Ⅰ. がん医療に係るAI活用の概観
周知のとおり、1981年以降、がんは日本人の死因第1位であり続けています。最新の統計では、2023年に新たに診断されたがんは約100万例規模にのぼり、一生のうちにがんと診断される日本人は2人に1人以上(男性61.1%、女性50.1%)とされています[2],[3]。また、世界に目を向けてもがんは非常に重要な疾患の一つであり、全世界では年間で約2000万例が新たにがんと診断されており、2050年までには約3,500万例にまで増加するともいわれています[4]。こうした背景もあり、かねてよりがん医療に関しては下図のような様々な領域でAI活用が研究・実用化されてきました[5]。
![Fig.1 がんに係る主なAI活用シナリオの例(参考文献[5]を基に作成)](https://cm-edgetun.pages.dev/ja-jp/microsoft-cloud/blog/wp-content/uploads/sites/6/2026/08/Picture1.webp)
上図にもあるように、がん医療におけるAI活用というと、「AIによる画像診断」や「バイオマーカーの同定」、「がんリスク予測」といったユースケースを真っ先に連想される方も多いでしょう。これらのユースケースが非常に重要かつ期待の大きいものであることはいうまでもなく、Microsoftでも、Azureを中心としたクラウド・AIサービスを提供し、グローバルの様々な研究機関・医療機関・製薬企業等のお客様との協業を通じて、こうした多様なシナリオの検討や実装を支援しています。
一方、これらのシナリオに加えて、ここ数年で急激に技術革新が進んだ大規模言語モデル(LLM)や、AIエージェント/マルチエージェントを活用することで、がん医療における新たなAI活用のシナリオも見えてきています。
本稿では、Microsoftの先進的な取り組み事例として、「精密医療・個別化医療の促進」につながりうるマルチエージェントの活用シナリオについてご紹介します。
Ⅱ. がん医療の多職種カンファレンス(Tumor Board)におけるマルチエージェントの活用余地
がん患者の状態は一人ひとり異なるうえに、がんには数百種類に及ぶ異なる腫瘍サブタイプが存在し、それぞれが新薬、薬剤併用療法、臨床試験、さらには医療機器を用いた治療を含む個別化された治療プロトコルを必要とします。そのため多くの場合、がん医療には放射線科医、病理医、外科医、腫瘍内科医、遺伝カウンセラーなどの様々な職種の医療従事者が関与し、多職種で連携したチーム医療としてこれに取組んでいます。
こうしたチーム医療でのがん医療における重要なコミュニケーションの場として、「Tumor Board」等と呼ばれる多職種のカンファレンスが重要な役割を果たします。Tumor Boardでは、先に述べたようながん医療の専門職が一堂に会して膨大な患者データと医学的知見を高度に分析し、最も適切な治療方針を議論し合意形成をしていきます。このような個別化の治療が患者のアウトカムの改善に寄与し得ることが報告されている一方、その準備に要する膨大な時間と高度な専門性が普及上の課題となっていることが指摘されています。
公開情報では、こうした個別化治療計画にアクセスできている患者は全体の1%未満にとどまっているとの報告もあります。また、米国臨床腫瘍学会(ASCO)の最近の研究では、臨床医は患者1人あたり1.5~2.5時間を費やし、画像データ、病理標本、診療記録、ゲノム情報などを丹念にレビューしていると報告されています。
AIエージェントは、こうした管理・事務的な負担を軽減し、医療提供の在り方をさらに変革する可能性を秘めています。
Ⅲ. MicrosoftのHealthcare Agent Orchestrator
Healthcare Agent Orchestratorは、Microsoft Researchとその協業先の研究・発表内容を基に構築されており、現在Microsoft Foundryのエージェントカタログで入手可能です[6]。これはマルチエージェント・オーケストレーションの機能が予め組み込まれたエージェントに加え、オープンソースによるカスタマイズ機能を有し、開発者や研究者はこれを利用して、Tumor Boardのような多職種かつマルチモーダルなヘルスケアデータのワークフローを連携・調整するエージェントを構築できます。また、構築したエージェントはMicrosoft TeamsやWordといった医療機関向けの業務生産性ツールとの連携も検討できます。Microsoftは、モジュール化された汎用的な推論エージェントと専門性を持つマルチモーダルAIエージェントを協働させるこの最先端のマルチエージェントの仕組みにより、現在臨床の専門医たちが数時間をかけているようなタスクを効果的に支援することを目指しています。
Healthcare Agent Orchestratorは、Microsoftの様々なソリューションや研究成果を組み合わせることで、医療に係る多様なデータタイプに対する分析や推論を支援することを目指しています。対象となるデータタイプには、DICOM医療画像、病理スライド画像、ゲノミクスデータ、さらには電子カルテに含まれる臨床ノートなどが含まれます。各エージェントでは Microsoft Foundryの高度なAIモデルが搭載されており、汎用的な推論能力と医療分野に特化したモダリティ別モデルを組み合わせることで、マルチモーダルな臨床データに基づいた有用なインサイトの創出を支援します。
Healthcare Agent Orchestratorの主な機能は以下の通りです。
– エージェントによるタスク実行の支援
電子カルテデータ横断的な推論が可能なエージェント型機能をオーケストレートし、患者の時系列サマリーの作成、がん病期の判定、特定の参照ガイドラインの適用、放射線画像や病理画像のレビュー、最新の医学文献の統合、治療ガイドラインの参照、関連する臨床試験の抽出、レポートの生成といった、時間を要するタスクを支援・高度化
– ヘルスケアデータへの接続
Microsoft FabricとFHIRデータサービスを介し、エンタープライズ規模のヘルスケアデータに接続するためのツールを提供
– 開発者による構築・拡張性
開発者が独自のモデル、ツール、指示、データソース等を用いて各エージェントを構築できるようにし、ガイド付きのプレイグラウンド環境での性能検証を可能に。また、Microsoft Copilot Studioを用いてMCPサーバーと接続させることで、エージェントの拡張も可能
– Microsoft 365環境との連携
多くの組織が既に利用しているTeams、Word、PowerPoint、Microsoft 365 Copilot などの馴染みのあるツールとの連携による既存の業務フローへの統合も検討可能
– 説明可能性の担保
エージェントのアウトプットに対して根拠となる電子カルテデータへの対応付けなど、医療という高リスク環境において極めて重要である説明可能性を担保する機能を提供
現在、Stanford University、Johns Hopkins、Providence Genomics、Mass General Brigham、the University of Wisconsin School of Medicine and Public Healthといった名だたるがん医療機関の研究者や開発者が、がん医療のような複雑な臨床タスクにおいてAIエージェントがどのような価値を提供できるかを検証するために、Healthcare Agent Orchestratorの活用を進めています。
Ⅳ. Tumor BoardにおけるHealthcare Agent Orchestratorの適用イメージ
Healthcare Agent Orchestratorは、がん医療の複雑で多職種にまたがるワークフローに特化して設計された複数の「専門エージェント」をオーケストレートします。オーケストレーターと主要な「専門エージェント」の概要は以下の通りです。

– オーケストレーターは、Semantic Kernel と Magentic-One を活用してエージェントを統制し、共有メモリを維持するとともに、人間が介在するワークフローとの相互作用(human-in-the-loop)を実現します。
– 患者履歴エージェントはUniversal Medical Abstraction[7]を用いて患者データを時系列に整理し、専門家が3時間以上を要することもある手作業を数分で完了させます。
– 放射線エージェントは、CXRReportGen/MAIRA-2[8]などの顧客向けにファインチューニングされたモデルを活用し、放射線画像を解析してセカンドリードを提供します。(CXRReportGenについては、別ブログ「Microsoft Azureで実現するAIモデルによる医療画像解析」[9]も併せてぜひご参照ください。)
– 病理エージェントは、Paige.aiの「Alba」病理エージェント[10]のような外部エージェントと接続し、病理画像に関する複雑なクエリに対応する方法を示しています(プレビュー提供中)。
– がんステージ分類エージェントは、米国がん合同委員会(AJCC)の臨床ガイドラインを参照し、正確ながんステージ分類を支援します。
– 臨床ガイドラインエージェントは、米国包括的がんネットワーク(NCCN)の臨床ガイドラインを参照して、推奨される治療計画を提示します。
– 臨床試験エージェントは、ClinicalTrials.govなどのデータベースと患者プロファイルを照合することで適格な臨床試験の探索を支援します。公開研究では、Criteria2Queryベースラインと比較して、リコールを2倍以上向上させる可能性が示されています(ただし、実運用にあたっては対象データ、評価条件、地域ごとの臨床試験情報の取り扱いを確認する必要があります)[11]。
– 医学研究エージェントは、信頼できる医学誌から得られたグラフベースの知識を参照し、関連する医学的知見の整理や検討支援に活用されます。
– レポート作成エージェントは、多職種カンファレンスにおいて信頼できる参照資料として活用可能な、包括的で統合された、リッチに整形されたレポート作成を自動化します。
なお、オーケストレーターは意図的にオープンエンドな設計となっており、API、ツールラッパー、またはMCPエンドポイントを公開している承認済みのエージェントであれば、サードパーティ製を含めてTeamsの会話スレッドに取り込むことができます。
Ⅴ. まとめ
以上で示したような、がん医療に係る多職種カンファレンスであるTumor BoardにおけるHealthcare Agent Orchestratorを中心としたマルチエージェントの仕組みは、もはや単なる構想ではなく米国の複数の医療機関で実装・検証が進められているものです。がんの診断や治療そのものに対するAI活用も当然ながら引き続き大変重要ですが、LLMやエージェント/マルチエージェントといった最新のAI技術は、Tumor Boardように「多様な情報と複数の専門性を連携させ、掛け合わせる」ようなシナリオで真価を発揮すると考えられます。また、これらのエージェントへのアクセスはEntra IDによる認証を介することで必要な医師のみに制限することもできるため、患者情報のような機微な情報もセキュアに取り扱うことが可能です。
もちろん、本稿で示したマルチエージェントのアーキテクチャを“そのまま”日本の医療機関に適用することは困難です。例えば、電子カルテのデータをクラウド上のAIサービスに連携することのハードルは米国に比べて著しく高いですし、セクションⅣで示したいくつかの専門エージェントが参照している米国のガイドラインやデータベースも日本での運用に適するものに置き換える必要があります。しかし、Healthcare Agent Orchestrator等の核となる技術や、専門エージェントの組み方、そして何よりこうしたシナリオに対するマルチエージェントの潜在的な価値と有用性といったコンセプトからは多くのヒントが得られるのではないかと考えています。本稿が少しでも、日本のがん医療に携わる皆様の参考になれば幸いです。
参考文献
[2] 国立研究開発法人国立がん研究センター, “最新がん統計”, がん情報サービス(参照 2026-05-01)
[3] 小野薬品工業株式会社, “日本人のがん罹患状況”, ONO MEDICAL NAVI(参照 2026-05-01)
[8] Bannur S, et al., MAIRA-2: Grounded Radiology Report Generation, arXiv, 20 Sep 2024
[9] 大嶽 和也, “Microsoft Azureで実現するAIモデルによる医療画像解析”, マイクロソフト業界別の記事(参照 2026-5-01)
本稿は、参考文献[1]のMicrosoft Blogをもとに、日本国内向けの情報を追加・加筆したものです。技術動向に関する情報提供を目的としています。同記事および公開コードに記載のとおり、Healthcare Agent Orchestratorは研究・開発用途を想定しており、臨床環境で、医療上の使用や助言、診断・または治療に用いることの推奨を意図した行うものではありません。紹介するAIの出力は医療専門家の判断を代替するものではなく、実際の導入・利用にあたっては、出力の検証、適用される法令・規制への対応、必要な許認可・承認の取得などについて、各組織において適切性ガイドライン、セキュリティ、プライバシーおよび各サービスの提供条件をご確認ください。製品・機能・提供状況は変更される場合があります。