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IT とがん研究の最前線―医療イノベーションに必要なものとは

吉野 孝之 氏と石川 智之

一般社団法人 22 世紀先端医療情報機構 理事長 / 国立がん研究センター東病院 消化管内科長 吉野 孝之 氏に聞く

国立がん研究センター (以下: 同センター) は、がん医療・がん研究の中核拠点として、国内最先端の治療、研究、治験、教育などを行っています。同センター東病院 (千葉県柏市) で、消化管内科長を務め、同センター 先端医療開発センター トランスレーショナルリサーチ分野、および同センター東病院 研究実施管理部長を兼務されている吉野 孝之 氏に、IT とがん研究の最前線についてお伺いしました。

吉野 孝之 氏

一般社団法人 22 世紀先端医療情報機構 理事長 / ​国立がん研究センター東病院 消化管内科長 吉野 孝之 氏

AI が治療の選択肢を提示する未来はすぐそこに

石川 智之: 医療業界におけるテクノロジー活用は、AI をはじめとして、単なる効率化を超えた視点でも注目が集まってきたと感じています。先生のご専門分野のがん治療における IT 活用の現状をお聞かせください。

吉野 孝之 氏: 私の専門分野は消化管内科という食道がん、胃がん、大腸がんを診るエリアです。主に薬物療法を手掛ける中、いまはデータベースの構築に特に力を入れています。

CT や MR の画像の読影を AI がサポートするといった効率化などに注目が集まっていますが、それはあくまでファースト ステップだと考えています。効率化のその先にある、新たな価値提供を ICT 活用の可能性として期待しています。

たとえば診療サポートは AI を活用できる分野です。ドクターは経験や臨床試験の結果をもとに治療方針を決めますが、地方の病院では症例が少なく、経験を積めないこともあります。トップレベルのナレッジを蓄積したデータベースを構築して全国からアクセスできれば、患者さんは日本のどこにいても均質な治療を受けられるチャンスが得られます。治療に関するビッグデータを構造化して EDC (*1) を整備し、患者さんの情報をインプットすると、過去のデータから AI が治療の選択肢を提示してくれるようになります。

産学連携による大きな視点を持ったプロジェクトでは、ビッグデータの活用が力を発揮します。私は主任研究者として、国立がん研究センターが運営する日本初の産学連携全国がんゲノムスクリーニング プロジェクトである、SCRUM-Japan (スクラム・ジャパン) を推進しています。さらに遺伝子の塩基配列の解析を数秒でできるバーチャル シーケンスというシステム作りにも取り組んでいます。これもビッグデータ解析の一種で、この分野では世界で一番進んでいると自負しています。

これらはまだ研究段階ですが、シーケンシングのデータをもとに AI が自動的に回答のドラフトを出して、ドクターたちがチェックする仕組みは、実証実験まで来ました。実現できれば、診療の質とスピードが大幅に向上することが期待されます。

石川 智之

日本マイクロソフト株式会社 パブリックセクター事業本部 医療・製薬営業統括本部 デジタルヘルス推進室 石川 智之

石川: 医療サービスの品質や、研究レベルの向上という観点で、AI は次世代の教育にも役立つと考えています。

吉野 氏: 教育の分野でも AI は大いに活用できるでしょう。自身の経験から、研修システムは作って終わりではなく、常にアップデートが必要で、これには時間も手間もかかると認識しています。AI が人手による仕事を支援・拡張して、研修コンテンツを効率的に充実させていく必要があります。

このように AI は、自動的に回答を出すといった自律的に動くシステムと、人間の仕事を支援・拡張させるシステムの、2 つの側面で見ることが大切です。

石川: 実運用までの期間はどのように考えていますか。

吉野 氏: 保険償還、すなわち保険診療の対象にまでなったものはまだありませんが、非常に近い将来に実現できるでしょう。

よく「AI で今の仕事がなくなる」という話題を耳にしますが、これは避けられない事実です。今は時代の転換期です。江戸時代に千歯扱き (せんばこき) が開発されて、脱穀の仕事がなくなったのと同じ構造で、第四次産業革命が叫ばれている今、革命が起これば仕事が変わるのは当然です。例えば、画像読影やカンファレンスが効率化されて、ドクターが患者さんと向き合う時間が増えれば、それはとても歓迎すべきことです。

石川: 患者さん視点ではどのようなメリットがありますか。

吉野 氏: 治療にあたっての患者さんの納得感は増すことになるでしょう。私たちドクターは、紹介状を読むとその患者さんのドラマが浮かびます。いつからどんな治療を受けられて、どういう人生を送ってこられたのか、頭の中にイメージして診療しています。私たちは日々、多くの患者さんや症例と接しているため、紹介状を見るだけで様々な可能性や治療の選択肢が浮かぶのです。

一方、多くの患者さんにとっては、これから受ける治療は初めての体験ですから、治療の選択肢を提示して説明してもイメージが湧きづらいのは自然なことです。そこで、患者さんが VR (Virtual Reality: 仮想現実) や MR (Mixed Reality: 複合現実) の機器を着けると、治療の選択に対応した 何種類かの物語が見えるようになると面白いですね。本来自分で見ることのできない、お腹の中の腫瘍が実際にどうなるのか、画像で見えるわけです。自分が主人公のストーリーとして体験できれば、こんな手術や化学療法を受けて、こんなふうに退院していくのか、とイメージしやすくなり、治療の選択をサポートできるのではないでしょうか。

石川: 大変興味深いアイディアですね。マイクロソフトでは、HoloLens という MR ソリューションを提供しています。医療分野での実績もありますので、お役に立てるかもしれません。

Azure は優れたクラウド。クラウドの価値をもっと医療業界に啓蒙すべき

石川: マイクロソフトについてはどのような印象をお持ちですか。

吉野 氏: 巨大 IT 企業には、それぞれ強みやオポチュニティーがあるのではないでしょうか。マイクロソフトは、手術のシミュレーションで使えるMRデバイスの HoloLens や、GxP (*2) 認定評価ガイドラインをきちんと提供しているクラウド サービス Azureが強みだと考えています。

石川: 国立がん研究センターで導入している、手術の各工程、各処置に対して意味付けを行う “医師の暗黙知のデータベース化”、構築研究者同士の関係性を可視化する「AI マッピング システム」、治験の被験者の情報を、依頼者が遠隔から確認できる「リモート SDV システム」もマイクロソフトのソリューションですね。

吉野 氏: まさにマイクロソフトのソリューションは身近なところでも利用しています。一般に、医療者のクラウドに対する理解度はあまり高くなく、いまだにオンプレミスが一番安全だと思っている人がいます。クラウドのほうが安全で災害にも強い。クラウド サービスに対する啓蒙活動には期待したいところです。実際に Azure はセキュアな優れたクラウドであると認識しています。

インタビューに応じる吉野 氏

石川: クラウド テクノロジーがあれば、AI を活用してビッグデータから価値の高い情報を導き出すこともできます。病院の電子カルテはクローズド ネットワーク上に構築されていますが、クラウドを活用してその価値を最大化するためにも、現在の技術なら安全にインターネットを活用できると示していく必要があると考えています。

医療従事者同士のイノベーションには限界がある。 IT ベンダーには根気強いコミュニケーションを期待したい

吉野 氏: 安全なクラウドサービス Azure の仕組みがあれば、病院で AI をもっと活用できるようになるかもしれません。

石川: セキュリティや安定性といった技術面以外に、何があれば病院での AI 活用が進むとお考えですか。

吉野 氏: 先ほど説明した、VR、MR で治療体験をするシステムも、技術面では実現の一歩手前まで来ています。課題は医療者と IT 技術者の言語が通じないことです。同じ医療画像を見ても、見る場所や観点が全く異なり、住む世界が違うように感じられます。そんな他業種同士が協業してイノベーションを起こすには、その高い壁を壊す必要があります。

研修医のことをレジデントと言いますが、もともとの意味は「レジデンス」などと同じく「住む」から来ていると言われています。レジデントは病院に住むかのように、担当医師に張り付いて学びます。IT 技術者の方にも同じような挑戦をしてもらいたいですね。レジデントのようにいろいろな科で、医療者に張り付いて体験すれば、壁が少しずつ取り払われていくのではないでしょうか。

石川: 辛抱強くお互いにコミュニケーションをとることが重要だと私は考えています。そのために、マイクロソフトとしても業界の知見獲得に注力し続けています。

吉野 氏: やはり IT 業界の人が病院を知ることに尽きます。思い切って優秀な技術者を 3 年くらい病院に常駐させてみると、診療の流れや各組織の役割などから医療全体をつかむことができ、ブレイクスルーが起こるのではないでしょうか。

IT 目線で見たら、病院の中には医療者が気づいていないニーズがたくさんあると思います。医療者同士が組んで起こるイノベーションには限界があります。他業種と出会ったときに生まれるイノベーションは、けた違いに大きなものになるでしょう。

石川: イノベーションの恩恵は広く行き渡ることが望ましいと思います。たとえば院外連携についてはどう考えていますか。

吉野 氏: マイクロソフトに構築してもらったリモート SDV のシステムはもっと活用できると考えています。例えば東病院に来れば、ほかの病院の電子カルテが全部見られるようになれば良いと思っています。そうなれば、わざわざあちこちの病院に出向いて臨床試験データを確認する必要がなくなり、製薬会社などの担当者にとっては大きなメリットでしょう。まだ越えるべきハードルはいくつかありますが、そういう未来を作りたい。

石川: はい、Azure で認証してほかの病院の電子カルテに接続することで、安全なデータ活用が可能になります。医療従事者の方々の働き方改革や、医療の質向上など、多くのメリットがありますね。

吉野 氏: ほかにも非構造化データの構造化や、SDTM (*3) のマッピングなども、今後必要だと考えています。最終的には電子カルテのデータを、横断検索できるようにすることが目標です。

私はいつも、既成概念にとらわれずに、日本初、世界初のイノベーションを起こしたいと思っています。失敗を恐れず、大局的に考えて挑戦したいですね。

AIとMRの技術で医療技術の向上や教育に貢献

石川: 医療現場での ICT 活用にはどのような未来があると思いますか

吉野 氏: 近い将来、ドクターがバーチャルで、あちこちに現れるのではないでしょうか。例えば同じ日に、ヨーロッパの学会、日本の病院、自宅、患者さんの自宅に現れる、といった具合です。5G (第 5 世代移動通信システム) 回線と VR、AR (Augmented Reality: 拡張現実) の技術で実現しそうな未来です。多忙でなかなか連絡も取れないようなドクターが、バーチャルで目の前に現れ、講演したり診察したりできたら面白いですね。バーチャル往診もできるかもしれません。

インタビューを行う石川

石川: 技術的には洗練させる必要がありますが、Azure Kinect のセンシング技術と HoloLens で、目の前に患者さんがいるようなシステムを構築することは実現できそうです。AIとHoloLens、Kinect を組み合わせて、医師の教育を助けるコンテンツ作成や、医療技術の向上につながるソリューション開発などお手伝いできると思います。

吉野 氏: マイクロソフトの技術には期待しています。ぜひ今後も、病院や患者さんがハッピーになるソリューションの提案をお願いします。

石川: 本日はありがとうございました。

*1 EDC: Electronic Data Capture の略称で、電子的臨床検査情報収集ともいわれる。治験や臨床試験の効率化を図るために、電子的に臨床データを収集すること、またはそのシステムを指す。

*2 GxP: Good x Practice (適正x基準、優良x規範) の略で、安全性や信頼性を確保することを目的に政府等の公的機関で制定する基準を表す言葉の略称。特に製薬産業関係のものが多い。

*3 SDTM: Study Data Tabulation Model の略称で、当局申請時に提出する臨床試験データセットの標準モデルのこと。

吉野 孝之 先生 プロフィール

1995 年 防衛医科大学校卒業、防衛医科大学校病院で研修。1997 年 国立がんセンター中央病院 病理部。1999 年 国立がんセンター東病院 消化器内科。2002 年 静岡県立静岡がんセンター 消化器内科 副医長。2005 年 米国メイヨークリニック、バンダービルト大学、ダナハーバーがん研究所に留学。2007 年より国立がんセンター東病院 消化器内科 医員。2010 年 4 月より同病院 消化管内科 外来・病棟医長、2014 年 11 月より消化管内 科長となる。2013 年 4 月より国立がん研究センター 先端医療開発センター トランスレーショナルリサーチ分野併任。2017 年 1 月より国立がん研究センター東病院 研究実施管理部長併任。現在に至る。2018 年 10 月より一般社団法人 22 世紀先端医療情報機構 理事長兼任。

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